地名の由来:“名古屋市東区筒井”編

 昭和61(1986)年2月5日、全国筒井氏同族会の会員であり、大阪市立五条小学校校長にあった筒井慧(あきら)氏は、名古屋市立筒井小学校の校長先生から封書を受け取っている。それには筒井小学校の創立100周年記念誌である『筒井』が同封されていた。(下の写真は当該記念誌の表紙;元文三年名古屋図と名古屋市指定文化財の山車”神皇車”と”湯取車”)

 筒井小学校は、明治5(1872)年に第五仮義校として創立されている。その後、明治13(1880)年に名古屋区第十五番小学筒井学校に改称されて以来、何度か「筒井」の地名を含んだ校名の変遷を経て、昭和47(1972)年には百周年を迎えられている。この投稿(令和5(2023)年3月)時点で創立150年を超える歴史ある小学校である。

 さて、この記念誌には、「筒井」の町名の由来が記載されているが、その地名の歴史は明治4(1871)年からで比較的新しく、どうも大和郡山の筒井とは直接の関係は無いようである。

以下に該当部分を引用したい。

「筒井町

筒井町は西は建中寺境内及び門前より、東は情妙寺境内及び門前に至る間を云ひ、一丁目より四丁目まであり、もと建中寺門前と稱せし地は、市譜には古井村の地とす、町屋とせし年月詳ならず、自然院門前はもと古井村の地にして、元禄九年より地子とす、此邊(筒井町四丁目)を黒谷町とも稱せしは、自然院に黒谷上人の御影安置せるを以てなり、又建中寺前吹附とも稱せり、情妙寺門前は延寶年中より地子を取立つ、又情妙寺前町は名古屋新田の中にして、元禄七年に町屋と爲す、明治四年、筒井町を設置す(市請、金鱗九十九之座、尾張志)、」


~故 筒井慧(あきら)氏のご家族の方から情報提供頂きました~


筒井氏同族研究会

大和の戦国大名・筒井順慶をはじめとする筒井氏を調査研究する団体です。 一族郎党の子孫や研究者だけでなく、筒井氏に興味のある方ならどなたでも歓迎します。 筒井氏の謎を一緒に解明していきましょう。

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