「衆徒」の僧階
僧階
・ 「衆徒」(僧体をまとった武士;国人)が、僧としてどのような位階にあったか、通常は書物に記載されなかったので、よくわからないが、興福寺別当も務めた尋尊(永享2(1430)年~ 永正5(1508)年)は、衆徒は法槗、法眼まで昇ることができると『尋尊御記』に記している。
・ 現状で把握できている範囲で、筒井氏関連の僧階を下記に付記してみた。今後必要に応じて、加筆修正を行いたい。
(『尋尊御記』による。降順に記載。最初の”大僧正”が最も僧階が上。)
1:大僧正(だいそうじょう)
2:僧正(そうじょう)
3:権僧正(ごんのそうじょう)
4:法印(ほういん): 筒井成身院光宣(陽舜房法印)、筒井良舜房順興、筒井栄舜房順昭、筒井陽舜房順慶
5:大僧都(だいそうず)
6:権大僧都(ごんのだいそうず)
7:少僧都(しょうそうず)
8:権少僧都(ごんのしょうそうず)
9:法眼(ほうげん)
10:律師(りつし): 筒井宗舜房尊覚(戦死)、筒井舜良房順永
11:法槗(ほっきょう): 筒井春次(春俊)(植田法槗と改名されたとされる)
12:已講(いこう)
13:大法師(だいほうし)
14:法師(ほうし)
15:(無位)
(『中世の奈良 都市民と寺院の支配』)
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