筒井氏の歴史

『信長公記』(しんちょうこうき)/『甫庵信長記』(ほあん しんちょうき)

  『信長公記』(しんちょうこうき)は、織田信長公(1534~1582年)の側近として長く仕えた武士・太田 牛一(1527~1613年)が、慶長年間(1600年頃)に著した信長公の伝記。一般に、歴史書としても信頼性が高いと評価されており、筒井順慶が12か所に登場する。詳細は後述の...

『順慶陽舜房法印 葬送次第目録』(じゅんけい ようしゅんぼう ほういん そうそうしだい もくろく)

 天正12(1584)年8月11日に病歿した筒井順慶の葬列に参加した人々とその役割を記したのが「樫尾文書」にある『順慶陽舜房法印葬送次第目録』です。筒井氏が多くの皆様に支えられていたことを伝える貴重な文書ですね。 ちなみに、敬称の有無で筒井家との関係に意味の違いが分かり、内衆には...

NHK『麒麟がくる』の筒井順慶の紹介は、残念ながら史実と違います。。。

NHK『麒麟がくる』の筒井順慶の紹介文は、残念ながら史実と違います。歴史の真実は、以下の通りです。筒井順慶「興福寺の官符衆徒。大和守護代・筒井順昭の嫡男。大和に侵略した松永久秀と対立。のちに織田信長の与力大名として光秀と共に戦った。史実では謀叛人・光秀の要請を無視した。」【NHK...