筒井氏の家紋②
『寛永諸家系図伝』巻十二と『寛政重修諸家譜』巻十七に、旗本・筒井諸家の記載があり、古くより三河国にあったとされる筒井家も多いようである。
『家紋大事典』の巻末P.618~619には、各家の『寛永諸家系図伝』(寛永18(1641)年~寛永20(1643)年に編纂)と『寛政重修諸家譜』(文化9年(1812年)10月に完成)に記載されたそれぞれの家紋が表形式で並べてまとめられている。
筒井氏に関しては、『寛永諸家系図伝』からの3家、および、『寛政重修諸家譜』にそれらの分家5家を含んだ合計8家の記載がされている。
大変興味深いことに、百数十年の間に、家紋が変化していることが分かる。
◇筒井正次 系 = 『寛永諸家系図伝』巻十二:五梅紋 ⇒ 『寛政重修諸家譜』巻十七:六星、丸に三引
<補足> 『寛永諸家系図伝』では、順慶の弟に城之介がいるされており、「城之介 ー 某紀伊守 ー 正次」と記載されている。一方、『寛政重修諸家譜』では、「城介 ー 順斎紀伊守(実は福住順弘と) - 正次」とされている。
◇筒井忠正 系 = 『寛永諸家系図伝』巻十二:六星 ⇒ 『寛政重修諸家譜』巻十七:梅鉢、雪輪の内薺(なずな)
◇筒井忠景 系 = 『寛政重修諸家譜』巻十七:梅鉢、雪輪のうち薺(なずな)
◇筒井重白 系 = 『寛政重修諸家譜』巻十七:六星(※)、雪輪の内薺(なずな)
<補足> 『寛永諸家系図伝』には記載が無いが、後年、『寛政重修諸家譜』制作用に幕府に提出した『畧譜』に基づき、『寛政重修諸家譜』での筒井忠正は成身院(筒井)順盛(筒井順尊の弟)の二男で大和国生まれとされ、大永年中に三河国に移ったと記載されている。
(※)『家紋大事典』での筒井重白 系は「梅鉢」だが、ここでは『寛政重脩諸家譜 第6輯』(大正12年発行)の「六星」とした。
◇筒井忠光 系 = 『寛永諸家系図伝』巻十二:梅輪内 ⇒ 『寛政重修諸家譜』巻十七:梅鉢
◇筒井重三 系 = 『寛永諸家系図伝』⇒ 『寛政重修諸家譜』巻十七:梅鉢
◇筒井政一 系 = 『寛永諸家系図伝』⇒ 『寛政重修諸家譜』巻十七:梅鉢
<補足> 『寛永諸家系図伝』では筒井忠光は三河国生まれとされている。後年、『寛政重修諸家譜』制作用に幕府に提出した『畧譜』では、始祖の名前が異なるなど、これに対しては幕府も疑わしいとする旨を『寛政重修諸家譜』にも記載し、初代を『寛永諸家系図伝』にあった筒井忠光として記載している。
◇筒井正吉 系 = 『寛永諸家系図伝』巻十二:圏の内梅輪内 ⇒ 『寛政重修諸家譜』巻十七:梅鉢、薺(なずな)
<補足> 『寛永諸家系図伝』では筒井正吉は三河国生まれとされている。しかし、後年、『寛政重修諸家譜』制作用に幕府に提出した『畧譜』では、始祖を筒井陽舜房順慶の諸兄・筒井順𠮷としている。これに対しては幕府も疑わしいとする旨を『寛政重修諸家譜』にも記載し、初代を『寛永諸家系図伝』にあった筒井正吉として記載している。
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